■
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/
博士論文は人に読ませるために
書くものだと現役学生の頃は
誤解していたが、
今では自分が成長するために
書くのだと断言することができる。
もともと、表現というものはすべからくそうだろう。
他人のためにするのではない。自分の
ためにするのである。
どのような表現をするか、
工夫をこらして趣向をきわめることが
美しき変貌を続けるための妙薬なのだろう。
そんな、思い切った小乗的世界観で
さまざまを見てみるのも良いんじゃないか。
(中略)
モーツァルトは、全ての曲を、自分に聴かせる
ために書いていたのだと断言できる。
本当の優れた表現行為は、変貌のマジックとして
自分自身の中で完結しているという
側面があるのだと思う。
作者自身を変貌させてくれるような表現行為こそが、
傑作を生み出すのである。