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博士論文は人に読ませるために
書くものだと現役学生の頃は
誤解していたが、
 今では自分が成長するために
書くのだと断言することができる。

 もともと、表現というものはすべからくそうだろう。

 他人のためにするのではない。自分の
ためにするのである。
 どのような表現をするか、
工夫をこらして趣向をきわめることが
 美しき変貌を続けるための妙薬なのだろう。

 そんな、思い切った小乗的世界観で
さまざまを見てみるのも良いんじゃないか。

(中略)

 モーツァルトは、全ての曲を、自分に聴かせる
ために書いていたのだと断言できる。
 本当の優れた表現行為は、変貌のマジックとして
自分自身の中で完結しているという
側面があるのだと思う。
 
 作者自身を変貌させてくれるような表現行為こそが、
傑作を生み出すのである。