年の瀬

今年も年の瀬になってしまい、一年間をまとめようかなとも思うのだけれど、それよりも今は目の前のこと(試験勉強)に時間と集中力を使いたいというのが正直なところ。なので、今年改めて考えさせられたことを一つだけ書いおくことにする。(少しの分量だけ実行して満足感が得られて安心するタイプなので)



(以下、ですます調で書いてみる。)

 環境はとても大切だと今年は改めて思いました。

 どうやっても今いる環境に影響されてしまうのだなと思いました。環境は自分の習慣を作ります。その習慣は自分の思考パターンや行動のスタイルを作ります。そしてその結果として今の自分がいるのだと改めて納得させられた一年でした。

 以前は「自分さえしっかりとしていればなんとでもなる」と考えるところが多く、自分が置かれている環境(まぁ会社です)をあまり重視しない傾向がありました。それは裏返せば、常に「自分の居る環境に不満を抱いている」ということです。または、周りを少なからず見下していた部分があるということだと思います。しかし、ここ数年の自分の成長を冷静に分析してみるとそれがいかに小さいものだったのかがわかります。自分では環境など関係ないと強がっていたのですが、実際には周りに甘えていただけなのだと思います。そのことにかなり自覚的になることができました。非常に失礼な(心の)態度をとっていたと思います。今はとても反省しています。

 そのことに自覚的になることができ、では「なぜ環境に不満を持つに至ったのだろうか」と考えるようになりました。それはいつ頃だっただろうか。何が契機になっただろうか。と考えていくといくつか出て来ました。しかし最も大きな要因は自分自身への不満と後悔なのだと思いました。いつの間にか自分は「我慢している」状態になっていたのだと思います。私は職業や生き方の自由がある程度は保障されている中で生きてこれました。それにも関わらず、自らの望み=やりたいことが明確にならないことへの焦りと挫折、時間切れ的に決まった進路、会社。その中での自分の存在の違和感、戸惑い。このままだと自分がとんでもなく変な方向に行ってしまうのでないかという恐れ。現環境から抜け出せない自分への苛立ちと不満。そして今まで経過してしまった時間を想ったときの自分への後悔。その感情が私に「こんなの自分じゃない」的な不満が「現状への我慢」に変わって行ったのではないかと思いました。現状の環境は対して変化していあににもかかわらず。

 しかし、それは逆から考えれば「自らの望むものが明確になってきた」からだとも言えます。自ら望むものがある程度イメージできるようになってきたということです。今自分が居る場所(環境)から望むものを得るためのストーリーが描けるようになってきたということかもしれません。何がそれを可能にしたかというと「捨てきれなかった以前の願望」を捨てることができたからだと思います。イメージのなかでだけ成立するような「美しく創造的な職業観」を自分の中から排除することがでました。その事がもっとも大きかったのではないかと考えています。「プロ野球の選手になりたい」や「デザイナーになりたい」的な願望に満ちた美しいイメージ先行の職業観です。その美しく創造的な職業に就けなかった、あるいはその道からドロップアウトしたことによる自信の喪失から立ち直ることができたからとも言えます。

 そのような今の環境と自分のズレを今年は特に強く感じるようになっていきました。環境からの「このように動け」という影響と、自分の「このように動きたい」という願望とのズレが、自分の「我慢している感」を一層大きくしていきます。しかし、一度入った環境から抜け出すのはとても大変です。そのことも身に染みてきました。わからないのだからやってみないと一生わからない。というのは真なのでしょうが、一番最初の環境の選択で自分を決定付ける最も大きな要素が決定されるというのもまた真ではないかと思いました。

 自分の置かれる環境は、条件や待遇というあやふやなモノで決めるのではなく、それらが全て無くなっても自分にとって最も大切なものがきちんと存在し、その手ごたえが得られる環境を選ぶべきだと強く思うようになりました。そのためにはいきなり決めてしまうのではなく、まずは自分が望むかどうかを試す経験ができる立場を作ることが非常に重要だと思います。自分の置かれる環境についていろいろと考えることができた一年だったということでしょうか。私自身の環境が変わるのも間近なのかもしれません。だから環境について考える機会が多かったのかもしれません。