MORILOGよりメモ

憧れの仕事にうまく就けない場合の問題は、特に言及するほどのものではない。それはごく普通のことだ。昔からあった。むしろ問題なのは、憧れの仕事に就けた場合である。
 自分が望む職種に就けたため、「仕事にはまってしまった」若者が散見されるのである。彼らは一見幸せそうに見える。彼ら自身も最初は幸せだと感じ、ますます一所懸命仕事に打ち込む。ただ、傍から見ていると、安い賃金で重労働を強いられている様が観察される。ちょっと頭を冷やして、自分がしていることがどの程度の「労働」かを認識した方が良くないか、と思うことがしばしばだ。そして数年もすると、思ったとおり、疲れ切って別の職場へ移る者が非常に多い。このため、どんどん新しい人間がその「憧れの職場」へ供給され、それで回っているのだ。経営者にとっては極めて好都合な条件であることはまちがいないが、これは正常だろうか?

 たとえば、僕が若い頃、建築の設計事務所がそうだった。仕事を覚えるまでは、月給などろくに出ない。食事ができるだけの小遣いしかもらえないのに、休みもなく働かされる。そうやって仕事を覚えるのだ、と言われていた。まるで「弟子入り」のようなものだ。傍から見ていると、「憧れを利用した若い労働力の搾取」ではないか、と感じられた。少しまえは、SEがそんなふうに見えた。今はどうだろう。漫画家やアニメータはどうだろう。是非、憧れの職場で頑張っている人は自覚してほしい、仕事とはすべて「労働」である、ということを。



→数年後に疲れきって他の職場に移る人が非常に多い。
僕はこの事実に気づいたのが約3年前。まさに建築設計事務所に勤めていた当時、事務所の先輩の搾取されっぷりを見て気づくことができた。だからすぐに転職した。今の職場は確かに激しい感動のあるプロジェクトは無い。でも確実に建築の技術力が蓄積させていく。上司や同僚にも恵まれている。しかし、あの当時の自分の行動が単なる逃げなのではないか、とずいぶん思い悩んだ。特に辞めてから。でも、僕にはあのまま、あの場所に居続けることは絶対に避けなければいけないと感じていた。改めて、現在も前の事務所で働いていたらと想像するとゾッとする。