どうしもない

http://coolsummer.typepad.com/kotori/2007/02/post_7.html

とか

http://coolsummer.typepad.com/kotori/2007/02/post_21.html

のエントリーを読んでいると、

自分はなんて中途半端にしか生きていないのだ。悩む資格なんて無い。と心底思います。今のぼくの現状は、完全に過去のぼくの人生の集積なので、現状になんら満足ができていないのならば、それは過去の生き方に問題があることにほかなりません。なので、今のぼくの生き方が過去と同じ問題を孕んでいれば、当然、近い将来も今と同じような悶々とした人生が続くのです。ぼくはなぜか本気で生きることに戸惑いがあります。没頭した生き方に憧れ、渇望しつつ、何かがぼくにブレーキを掛けるです。日々、適当に見繕ったような満足感を自分に与えてなんとなくごまかす毎日です。寂しく、空しい。毎日何キロマラソンしようが、泳ごうが、仕事をしようが、女の子と付き合おうが。本気で生きていない自分がどんどん浮き彫りになっていき、なにしてんだろって思ってしまって、もう居ても立ってもいられない位に苦しくなって逃げてしまうのです。だから本気で生きる人達の話に敏感に反応してしまうのでしょう。

そして、このエントリーを書きながらようやくある種の覚悟をする時期が近づいているなぁ。ぼくを止めるブレーキの正体が何なのか判ってきているなぁと思っています。それはいくつも同時には得られないということだと思います。覚悟って捨てること以外の何物でもない、のかもしれまん。小さいものならいくらでも捨てられますが、自分を構成している中核を捨てることはとてつもなく難しい。でも、ぼくももう少しで大きなものを捨てる日がくるでしょう。それをぼく自身が望んでいるわけですから。